ロゴ 巨石文化


メンヒルとアリニュマン(フランス、ブルターニュ地方カルナック/Carnac/Karnag

最近、(2006/6)にブルターニュ地方を訪れて、アリニュマンやドルメン、メンヒルを丹念に見てこられた方の話では、メインのアリニュマンの周囲には背丈の高いフェンスが付けられていて列石に接近出来なかったとか。 どうもスプレーによる悪戯書き防止ではないか、と言っていました。 フェンス越しでは全然興ざめでつまらなかったそうです。 半島には沢山の巨石遺跡が点在しますので、メンヒルやドルメンを多く見てあるかれたようです。 悪戯書きと言えば数年前にパリを訪れたとき、空港からパリ市内に近づくと高速道路の橋脚や側壁にビッシリとスプレー画が書かれていてなんとも殺伐とした印象を受けました。 あれはあれでその世界の有名アーティストが居るようなのですが、確かに芸術は”心地良くあってはいけない”、という岡本太郎の言葉もあるのですが・・・・・・。 この様な悪戯ガキせいでアリニュメンが見られなくなっているとなると困ったものです。

ボタン

石の存在がすべてで、文字に書かれた記録に登場しない分、巨石遺跡には謎めいた伝説が語りつがれています。  アリニュマンについて言えば、ブルターニュ地方に進軍してきたローマ軍が魔法によって行軍する姿のまま石化させられた、そしてクリスマスの夜には魔法がとけた彼等は川に水を飲みにくる、と言うものです。  

  アリーニュマン
これらを訪れたのがかなり以前のことでどこの列席の写真なのかあやふやですが、たぶんケルマリオ(Kermario)ではないかと
思います。
列石の端の巨石の大きさがかなり大きくそれが次第に小さくなって行く落差が非常に激しいアリニュマン です。

 アリーニュマン

上の写真を撮影したのが随分と旧い事(1970年ころ)なのでアリニュマンの名前が思い出せませ。    メネックのアリニュマンの場合は1099個からなる立石の列が平行に11列も並んでいて、長さは1167メートルもあり、その方向軸の北東の先には70個の石からなる半円形があります。  ケルマリオのアリニュマンでは、100メートル幅に1029個の立石が1120メートルの長さに平行でならんでいてこの方向軸の先きにはドルメンがあります。  ケルレスカンのアリニュマンは13列、128メートル幅、820メートル長さだが残っている立石の数は550個と少ない。  これら3つのアリニュマンはどれも北東から南西の方向軸上に並んでいて、北東方向の端の立石は大きく(大きい物は3.7メートルほど)南西に向うに従って徐々に小さくなり一人でも動かせるほどの小さい立石になります。  列になっている立石の方向軸は平行線のものと、カマレにあるラガタのアリニュマンの様に立石の列の方向が様々に向いているものもあります。 

(Alignements de Kermario/Ménec/Kerscan)

メンヒル ロクマリアケの巨大メンヒル
エルグラン

エル・グラー(妖精の石)と名付けられたこの巨大メンヒルは現在は倒壊して4つに割れていますが当時は直立していました。  高さ、21メートル、重さ、347トンと言う巨大な石は最大のメンヒルでしょう。  因みに、つぎのURLではCGによって再現されて直立していたエル・グラーが見られます。 リンク切れ  巨石文明の遺跡と天文学を結び付けて古代人の宇宙認識を探ろうとする天文考古学の学者のアレクサンダー・トムによれば、ロクマリアケ近郊に立っていたエル・グラーはキプロン湾沿岸にある多数の遺跡か見ることが出来、この21メートルもの高さの立石が天体観測用(月)の構造物として利用されたと言うことです。  観測と言う行為をするためには、観測者の視点を特定する後視の物体と方向を特定する先視の点があり、その先に天体がきます。  ストーンヘンジのヒールストンにあたるのがエル・グラーであるのです。  18.6年の周期でもって月の出と月の入り地点の際北・際南が巡ってきますが、それの観測用前視がエル・グラーで後視(観測地点)となる8つの遺跡の内4つまでは確定されていると言います。  イギリスやフランス、スペインにおいて古代ローマ文明の前にはケルト文明があり、その前には巨石文明を残した人たちが住んでいて彼等の生活リズムはむしろ月の運行と連動していることの方が強かったようです。  現在研究されているケルト文明の伝播地図を見るとドイツあたりがその発祥地で次第に周囲に広がって行った事が分かります。  この伝播地図と巨石文明の残存遺跡地図を見ると面白いことに巨石遺跡はケルト発祥地のドイツあたりには見当たりません。  ある時代まで(ケルト人達が鉄器を得るまで)は二つの文明は共存していたかもしれません。  その後、ケルト文明の力が強くなりブルーニュ半島を通りやがてイギリスにも及んでいったのでしょう。  ストーンヘンジは他の巨石遺跡にくらべて格段に高度な構造をしていますが、きっと遅くまでこの地に巨石文明が栄えていたためかもしれません。  

アリーニュマン

ボタン

モンサンミッシェル

カルナックとは半島を挟んで北側、ブルターニュ地方とノルマンディーとの境には修道院のモン・サン・ミッシェル(Mont Saint-Miche)がある。潮の干満の差が15メートルもあるマロ湾に在るのでかっては満潮時は島となり干潮時は陸続きとなる島だ。ブリテン島(イギリス)から渡って来たケルト人は”墓の山”呼び聖地として信仰していた。8世紀ころ当時のキリスト教司教が夢のなかに出て来た大天使・ミカエル(サン・ミッシェル)から「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたことから教会が建造された。ケルト人文化の前には巨石文化があったとするとその時代にはこの島はどのようなカタチで人々のなかで生きていたのだろうか。


 ボタン index  [酒船石]  [ノート]