ロゴルーブル美術館の彫刻(Part2)

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カフェ・テラスで見つけた石像
 

 ルーブル美術館の美術作品を次々夢中で見ているうちに歩き疲れたなぁと感じました。折よく館内のキャフェを見つけたので入ってみるとテラスにもテーブルがあるのがみえたので外の席へ座りました。ギャルソンにオーダーし、ホッコリとして周囲を見渡すとテラスの欄干の上に数体の石像があて、絵筆やパレット、マルトォーにノミなど画家や彫刻家と思える道具を組み合わせた像達でした。これらは”アクロテリオン(棟飾り)”と言うのだろうか? アクロテリオンと言うのは古代ギリシャ建築ではもっと屋根の上の方に、神像などを装飾とし配したそうですがここではテラスの手摺の上なので欄干飾りでしょう。気になって美術館を出たあとそれらの彫像を下から見上げてみると台座に、PUGET、CHAMPAGNE、LESUEUR、COUSTOU、SARAZIN、POUSSIN、の名前が読めました。

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左から、P_Puget、Sarazin、N_Coustou、N_Poussin、です。

これら石像は美術館の2階のテラス部分にガラスのピラミッドのある中庭を取り囲んで見下ろしています。これは何だと思い「ルーブル美術館の歴史」を読んでみるとでていました。元々ルーブル美術館は12世紀ころに建てられた要塞が各時代ごとに様々に増築されて大きくなって行ったのですが、19世紀に皇帝となったナポレオン3世の時代にも改装は進められていて、整備担当の建築家ルフュエルはそれまでの古典的なデザイン方針に逆らった装飾過剰なプランを行ったそうです。その一つに「ナポレオンの中庭」に面したテラスの欄干に86名の著名人(文学者や芸術家)の石像を飾ると言うものでした。ルフュエルの行った改装には当時の彫刻家や職人達、リュード、バリー、デュレ、プレオ、カルポー、ギヨームらが腕を振るったそうです。

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 ルーブル美術館入り口のガラスのピラミッドの後方に欄干飾りの石像が並んでいるのが見えます。左の騎馬像はルイ14世を表していますが、この銅像(鉛の鋳造)の元はベルサイユ宮殿に置かれている石像です。いわくのある像で、イタリアバロックを代表する、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニにルイ14世騎馬像の制作依頼がされてやっと完成したのが1673年、直ぐにはフランスに運ばれることなくベルニーニが死去した後にやっとベルサイユに運ばれました。ところが此の像を一目見たルイ14世は気にいらず嫌悪して破壊を命じました。しかし、フランシス・ジラルドンの手で、1687年、羽飾りとヘルメットのほか、馬の腹の下に炎が付け加えられて、ローマの将軍マーカス・クルチウスの騎馬像として改造されてかろうじてベルサイユ宮の庭の端に残りました。此の時代のフランスではバロックの作風は好まれなくなっていました。此の時代を代表するフランスの彫刻家はジャック・サラザンです。その作風はサラザンの大コンデ法王の墓碑に施された浮き彫りに見られるような自然な感情表現の古代風なものです


 欄干飾り石像の主を詳しく見て行くと、まず、●P_Pugetですがリシューリュー翼にある「ピュジェの中庭」のピュジェです。手前のブロンズ像の後ろに見えるのが「クロトンのミロン」です。ピュジェはフランス17世紀を代表するジェノバ生まれの彫刻家ですがイタリアでバロック彫刻の勉強をしました。フランスは16世紀にアルプスを越えてイタリアに遠征しましたがその時に先進国であったイタリアからルネッサンス文化の精華がフランスに伝えられました。やがてバロック的なものと古典的なものの両立する時代になって行きます。ピュジェが50歳代のころベルサーユ建設に参加し「クロトンのミロン」と「アンドロメダを救うペルセウス」を彫ります。その出来映えは圧倒的でしたが、劇的で装飾的なバロック的作風はルイ14世時代に出来たフランス・アカデミー(古典的)のル・ブランには気に入られなかったそうです。
      アンドロメダ
 「アンドロメダを救うペルセウス」

ピュジェ

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 ●Philippe de Champagne(フィリップ_ドゥ_シャンパーニュ)、ブリュッセル生まれのフランス画家、イタリアからフランス王室に嫁いできたマリ・ド・メディシスのお抱え画家となり王室で重用された。NHKの人形劇の三銃士で悪役のリシュリュー枢機卿の肖像画を、フランドル的写実性と古典性で描いた。

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 ●Eustache Le Sueur(ウスターシュ・ル・シュウール)、此の時代美術のもっとも盛んで中心であったイタリアにはおもむかず、生まれたパリで画業を達成した古典主義の画家。そのほかにも彫刻アカデミー創立メンバーとして尽力した。パリに滞在したニコラ・プッサンとも親交があった。

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 ●Nicolas Coustou (ニコラ・クストー)、Guillaume Coustou(ギヨーム・クストー)と兄弟でまたクストー・ジュニアーは息子でフランス・アカデミーの長も勤めた。「マルリーの馬」は彼らの作品です。
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 ●Jacques SARAZIN - Noyon(ジャック・サラザン・ノワイヨン)、バロックの嵐はオランダ,スペインに吹き荒れていた。フランスでは落ち着いた表現が求められ始めていた。その時代の変化をサラザンの作風はとらえていてフランス風な静かな情熱の表現になっている。

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 ●Nicolas Poussin(ニコラ・プサン)はノルマンディー地方に生まれた。パリで画業を勉強の後ローマにに滞在。独自の古典主義様式を確立する。神話画、宗教画、風景画に優れ、1640年ルイ13世に招かれてルーブル宮の装飾にあたるが、2年後ローマに戻り、以後フランスへ帰ることなく、同地に没した。だが、王立アカデミーの初代院長シャルル・ルブランによりその作風がアカデミズムの規範とされた。代表作の『アルカディアの牧人』が有名。


 ○右の写真はピュジェの中庭の回廊部分にある彫刻群です。一番左はChristophe-Gabriel Allegrain(クリストファ・ガブリエル・アルグラン)の「水浴びするビーナス」です。その奥は悲劇をよく題材にした、Denis-Antoine Chaudet(ドゥニ・アントワン・ショーデ)の「羊飼いに命を助けられる乳児オディプス」、その手前は、ベルサイユ宮殿の劇場の壁面を彫刻した、Augustin Pajou(オーギュスタン・パジュ)の「二人の子供とバスク地方のタンバリンを持つバッカスの巫女」です。これらが制作された同時代ポンペイの発掘があったり古代趣味が流行った。 alle
ビーナス バッカスの犠牲
ドゥニ・アントワン・ショーデの「羊飼いに命を助けられる乳児オディプス」 クリストファ・ガブリエル・アルグランの「水浴びするビーナス」の頭部。 Claude Michel(クロード・ミシェル)「子供のバッカス祭の生贄の山羊」、このレリーフはブルボン=コンデ館(パリ7区)の正面玄関を飾るレリーフの一部です。
carpeaux barye

 さて、17世紀の彫刻家達の石像を彫った19世紀の彫刻家の作品を見てみることにする。その内の一人、●Jean-Baptiste Carpeaux(ジャン・バプチスト・カルポー)「ダンス」がある。この写真の作品はオルセー美術館にあって石膏製、実際の作品はオペラ=ガルニエのファッサードを飾っている。パリのエコール=デ=ボザールで彫刻を勉強した後ローマに留学しました。そこでミケランジェロ、ドナテロ、ベロッキョの作品を研究しました。そのことでフランスの彫刻界の主流であった古典主義的なものを脱し新たな方向のロマン主義的な彼の表現をつくることになりました。

 ●Antoine-Louis Barye(A・バリー)「ライオンとヘビ」、パリ生まれのバリーは金工家として彫刻を始めました。ロマン主義の彫刻家達は小彫刻を好みなた大理石彫刻よりもテラコッタやブロンズ彫刻を重用した。それはこれらの素材がインスピレーションをよりすばやく定着出来る素材であったからだ。ロマン主義の彫刻には演劇の一場面やバリーのように動物のよりリアルな動きを表現した。バリーの作品は「インド・ワニを食うトラ」「狩猟」「座るライオン」「ウサギを食うトラ」など解剖学に通じた精緻な表現で評判をとった。

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