メガリス


レイ・ライン
 18世紀の中頃、イギリスの宣教師達は中国から「風水」の情報を「ジオマンシー」と名ずけて紹介したしたそうだ。 それから約1世紀の後、1920年頃、英国の発明家で実業家のアルフレッド・ウォトキンズは英国にある古代遺跡の直線配列に気が尽き、書物に表し,この大規模な古代遺跡の直線配列は「レイ」となずけられました。 しかし、此の書物は人々からあまり受け入れられることなく時間が過ぎましたが、1960年代になって、UFOとかオカルトとか古代遺跡のミステリーなどに世間でブームになったころ再び注目をあびることとなりました。 現代では、「レイ・ハンター」なる雑誌もあるほどに一般化してピクニックを楽しむ様にレイ・ラインを辿る人たちが多くいるようです。
絵は、「レイ」の発見者、アルフレッド・ウォトキンズ   お便りコーナー

このレイラインのページを見られた九州の法子さんから次のメールを頂きました。  ページは作っても現地に行ったこのない石楽亭はうらやましく思いました。 聖地から受けるパワーとはどんなのでしょうか。

《スコットランドのフィンドフォーンはとてもエネルギーの高い場所でした。フィンドフォーンでは1週間滞在して、ダンスを踊ったり森を探検したり、仲間(十ヶ国ぐらい)とシェアリングしたりしましたよ。アイルランドの弁護士のポールは特にレイラインについて本で良く勉強しているようでした。フィンドフォーンの瞑想室の一つはレイラインの真上にあり、国連にも一時期置いていたというエネルギーストーンが置いてあり私も触って来ましたよ。信じて頂けないかもしれませんが、私は意識の拡大がおきてしまいました。もともと感受性がちょっとするどいものですから。ケルトはとても神秘的な素敵な場所です。人に変容をうながしてくれます。2004/2/10》


   石楽亭の受け売り豆知識
 九州の法子さんが訪問されたというフィンドホーンとはどんな処なのでしょうか? 調べて見ると、法子さんがメールに書かれているように”精神的な愛の場所”の様です。 スコットランドの北の端にあるフィンドホーン湾に面した元ゴミ埋め立て場の荒地だそうですが、40年ほど前にアイリーン・スミスさん達家族やその友人がこの荒地に住み始め、土地を開墾し始めたところが荒地にもかかわらず作物の生育が大変によく、地質の良さなどの常識的な条件以上のなにか神秘的な力が働いていると思わなければ説明がつかないことが分かったそうです。 住み始めた当初、「草も生えないような荒地だが、やがて世界中から人々が集まってくる」と言う啓示を信じてスミスさんは住み続けた結果はその天からの言葉どおり、今では世界中から人々が集まってくる有名な場所になっているそうです。
 一方のウォトキンズの発見したレイラインは、 イングランドの西の端、ウェールズに近いヘレフォードにあります。  ウォトキンズが65才の時、見晴らしの良い小高い丘から周囲の農耕地の地形を地図にてらして眺めたのちボンヤリと休息していた、そのときウォトキンズは目の前の風景に重ねて碁盤の目の様な直線道路の上に古代遺跡の教会、塚、巨石、聖なる木などが一直線に並んで見える幻視体験をした、と言われています。 この直線は夏至の時の太陽の昇る方向に連なる直線ではないかと、後にウォトキンズは考えたそうです。 とりあえず彼はその直線を「古い直線路(オールド・ストレート・トラック)」と名づけたのです。 それがなぜ後に「レイ・ライン」となったかは、荒俣宏著(風水先生レイラインを行く)の中で、この地方の地名に付く”***レイ”(***ley)の古い意味に”光”と”真っ直ぐな道”と言うのがあってそれに気づいたウォトキンズは、夏至の日の出の光の直線を重ね合わせて「レイライン」と名づけたのではないかと書かれています。
「アースワークス」の著者、ライアル・ワトソンは「シークレットライフ」のなかで石の不思議な力について幾つもの例をあげています。 氏は石器時代の石器に興味を抱き数多くのスクレーパ、ブレード、フレークなどを調査するうちに自然のなかでなんらかの力によって出来た人工の石器に似た石片も手にとって眺めることで一瞬にして見分ける事が出来るようになった、と述べています。 また、人に触れられた石はもっと強く人に触れられることを望むようだ、とも書いています。 ある種の石には霊力(エネルギー)を蓄えたり、発するものがある様だ、そうした石達を並べた古代の列石は信仰対象であったり巡礼で多くの人たちがおとずれたりした、その地を現代人が訪れても彼らに何らかの力を及ぼす力がまだ残っているようだ、と述べています。

檜原神社から二上山遠望              夕日を受ける檜原神社の鳥居 

 有史前遺跡ではありませんが、酒船石や益田の岩船の近く、北緯34度32分を東西に通る太陽の道があることを写真家の小川光三が発見しました。  この緯度線上には、東から伊勢の斎宮跡、さらに東には答志島(神島)、そして伊豆半島の先端があり、一方、大和盆地にもどると三輪山の北にある檜原神社、西へ行くと,国津神社、最近,土器の発見で卑弥呼の墓説が浮上してきた箸墓古墳、3.1〜3.7キロの間隔で次々神社が続き、二上山の北の穴虫峠にあたり、大阪に入る、淡路島の伊勢の森を過ぎて小豆島を通り、山口県の須佐海岸で日本海に達する。  檜原神社からほぼ西方に青垣の山々の一つの二上山が見え、お彼岸の入り日が穴虫峠に沈みます。  伊勢の二見浦の夫婦石の間から昇る朝日は有名ですがやはりこの北緯34度32分線近くに位置します。  これらは偶然ではなく当時に存在した測量技術集団の技術の高さの成せる事のようです。  自然界に存在する際立った山や地形、岩などを天体観測の目印にするのはヨーロッパの巨石文明でも初期にありました。 それが、やがて木材や巨石を使用し建造物をたてる様になります。  その時、巨石から人々はなんらかのパワーを感じていたかもしれません。

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(上の掛け軸は旅館「海の蝶」の床の間にかかっていた。)

江戸時代には富士山信仰が盛んで様々な富士山が描かれています。その中には「二見浦富士図」の様にお目出度い図柄も幾つかあります。二見浦の夫婦岩と富士山と日の出の三点のそろう図が成立するのは夏至の頃でないとダメだそうで、初日の出を拝もうと、この図を期待して二見浦へ行っても見えません。 現代でも条件が良ければ富士山は見えるそうで夏至にはカメラマンのレンズの砲列が夫婦石の見える所にはできるそうです。 これなども人工物ではないにしても「レイ・ライン」と言えそうです。 

また、冬至には内宮の五十鈴川に掛かる橋の鳥居を通して日の出が見られるとか、やはり太陽を意識して伊勢神宮は建てられているのだろうか

2008/12/15
宮元健次著「神社の系譜」(なぜそこにあるのか)によると「太陽の道」との関係が詳しく解かれている。
それによると、伊勢神宮から東を臨むと、二見興玉神社、夫婦岩を結ぶ線上に夏至の太陽が昇ると言う。また、丹波の元伊勢と上賀茂神社、伊勢神宮を結ぶ直線上の東から冬至の太陽が昇るとあります。

        ujibashi
聖域である内宮への界に掛かる宇治橋から五十鈴川上流方向を見た風景です。宇治橋は五十鈴川に対してほぼ直角に架けられており、西岸(右側)から東岸(左)を見た場合は約30度南を向いているそうです。宇治橋の両端には鳥居が建っていて、冬至前後1ケ月間の日の出をその鳥居の間から見る事が出来ると言うことです。意外にこの事実が知られるのは新しく、1980年代に参拝客の間から評判になって広く知られることとなり、今では冬至前の数日から1月初旬まで鳥居からの日の出を見る人が多く訪れるそうです。

amaterasu   内宮
hinode            旅館の部屋から見た日の出
otsukai          太陽のお使い

 

[太陽の道] -- 桜井市の公式HPに登場するレイラインに付いての記事が読めます。


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